父の愛

Natsumi Narasaki
日本では、同じような状況の中で、最期のひと時をそういう風に整えることができるのか、というと、なかなか難しかった。どうしても、モニター類やチューブ類に囲まれてしまうことになる。最期の時は家族だけ、というわけにはなかなかいかない。ただ、文化的な要素も「死」に関わってくるから、どちらがいいとは、一言では言いきれないけど。
先日、一人の患者さんを見送った。数日間家族とゆっくりした時間を過ごし、そして、その子は天国に昇っていった。今回はその子ではなく、その子の父の話だ。
「母の愛」というのは、本でも映画でもテレビでも何度も何度も語られて、その度に涙を誘う誰もが同感できる愛。反対に「父の愛」というのは、わりと話題にならない、目立たない愛のような気がする。子どもの「死」の瞬間にあっても、一般的に落ち着いている(見える)のは父で、泣いたり取り乱すのは母。「代われるものなら代わってあげたい」と言葉にするのもたいてい、母。
その子の家族も例外ではなく、泣いて「代わってあげたい」と母は毎日繰り返し、その度にこっちも一緒に泣いてしまいそうだった。一方で父は、特に何も語らず、いつも静かにその子のそばにいた。積極的な治療をやめて、Palliative Careに切り替えるという話し合いの時も、それをどうしても受け入れられない母の横で、父は静かだった。
そんなある日、廊下ですれ違った父があるものを見せてくれた。それは、父の左胸、ちょうど彼の心臓の真上に入れられたtattooだった。写真のように、その子の半分抜けかけた前歯の乳歯まできちんと描かれた、今まさに天国へ旅立とうとしている息子のポートレートだ。「昨日、入れてきたんだ。これでずーっと一緒にいられるから。」本当に美しいtattooだね、と言った私の言葉に、恥ずかしそうに父は答えた。
その瞬間のその父のまなざし、言葉から、ものすごく深い悲しみが伝わってきた。この人は、母のように泣いたり叫んだりしないかわりに、ものすごく深いところで悲しんでいる。もうすぐ来る子どもとのお別れが本当に辛くて辛くてたまらないんだ。私はそう思った。何年か小児病棟で働いて、沢山の父たちに会っているが、「父の愛」というのは、外からは本当に見えにくい。今回初めて、その結晶を見せてもらったような気がした。「父の愛」というのは、静かだけど、深い深いものなのかもしれない。
数日後、その子は、その父の腕の中で、自分のポートレートのある父の胸の上で静かに静かに息を引き取った。父の
深い深い愛の中で最期のひと呼吸を終えて、天国に旅立って行った。









