8月6日、広島の朝

Photo by Thomas@BOD
けれど、61 回目の原爆の日である今年は、少しいつもとは違う光景に見えた。昨年11 月に亡くなった祖母の名がこの日、他の被爆者とともに新たに死没者名簿に加えられ、慰霊碑に納められたからだろうか。
彼女は61 年前のこの日、1 歳の息子とともに被爆し、その後も原爆症に苦しみながらも、多くの戦争体験者と同様に明るく気丈に85 年の人生を全うして亡くなった。幼い頃から彼女の被爆体験については聞いていたけど、そんな悲惨な経験をしたという事実を打ち消してしまうほどの彼女の明るさに、私にとって正直その事実が遠いものになっていた。
しかし、あの日の朝、慰霊碑に納められようとしている名簿の中に、祖母の名があると思うと、長い間「知ったつもり」だった戦争の事実が妙にリアルに感じられ、その「事実」を伝えられる人を、時間の経過とともに失っていることを改めて実感した。
それって、かなり危機的な状況だ。
多くの人が今も、平和の大切さを伝えようとして様々な活動をしている。演劇で音楽でアートの場で。彼らの色々な表現方法で伝えようとする懸命な姿には、本当に素直に心を打たれる。そして、思う。
「私には何ができるだろう?」って。
きっとやる気になればなんだってできるだろうが、現実にはかなりの情熱と勇気が必要だ。
昔も今もすぐできることと言えば、広島を訪れる外国人や県外在住の友人に、原爆資料館や平和公園を案内し、私が祖母から聞いた話を伝えることぐらいか。我ながらこの微力さには憤りさえ覚えるけど、きっとそれでも、式典で通り一遍に原稿を読むだけだった首相の言葉より、誰かの心には伝わるのではないだろうか。
ちょうど今、中東での戦禍が拡大されている様子を伝えるニュースを見て、めまいを感じつつ、微力なりに次にすべきことを考えている。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/
(広島平和記念資料館、バーチャルミュージアムのホームページ)









