9/11 人が生きること、そして死ぬこと

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Photo by Michoro

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今年もやってくる9月11日。
ニューヨークに住む友人が、「この日が近づくと、あの日見た、飛行機の椅子にシートベルトで繋がれたまま道端に投げ出されていた、黒焦げの死体の夢を見てうなされるんだ」と打ち明けてくれた。

2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件。この事件には、数々の陰謀説も流れていて、いまだに全容は解明されていない。しかし、国際情勢に疎い私でも、理不尽に命を奪われた人の人生がそこにあったということだけは良く分かる。この日の朝、いつも通りに起きていつも通りの朝を迎えた。その尊い命が、こんな死に方を迎えなくてはならなかった理由はどこにもないのである。

もう3年前になるが、私の創作仲間であった女性が膵臓癌で亡くなった。原因不明の激痛に悩まされ続け、とうとう腰痛で立つことも出来なくなり、救急病院に駆けつけてから二週間という短さだ
った。9月は彼女の命日でもある。残された二人のお子さんや、ご主人、老いたご両親、そしていつか自作本を出すのを夢見ていた彼女が志を半ばにしてこの世を去ったことを考えると、今でも胸が痛み生きることへの意味を考えずにはいられない。

死は誰にでもやってくる。生はいつでも死と背中合わせだ。テロ等で突然奪われる命も病気で落とす命も、このひとつひとつの命のなんと尊いことだろう。この世にある全ての命が、必然性を持
って存在している。

『どこにもいない、ということは逆にどこにでもいるという事なのではないだろうか。この風のように、受けとめる人間がいるあたりに偏在しているのではないか。魂や心は外部から押し付けられるものではなく、受けとめる側の人間が心を開けば感じる事ができるのではないだろうか』

生前、彼女がエッセイの中で綴ったメッセージだ。
死後の世界があるかどうかは分からない。だけど生きている人が亡くなった者を心に思うときに、その魂は永遠に生き続けるのではないかとも思う。私が生きる限り、死者の魂は私の中に生き続ける。そう信じて、地に足をつけて生きて行く。
9月11日は、私にとってそんなことを思い起こさせる日だ。

About the Author

みちょろ

モントリオールに根を下ろしてから早14年。某観光会社のガイドをしながらも、日系新聞の記者やコミュニティ誌に記事を投稿しています。モントリオール、ケベックが大好きな私が、特選した場所を紹介します。

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